2011年8月13日土曜日

174.西東京市谷戸町 ゆパウザひばり


ニュースでは帰省ラッシュを報じていた今日、西東京市の銭湯、ゆパウザひばりを訪れた。

このところ幾分涼しくなる夜中に銭湯を訪れて、後は家に帰って寝るだけという感じの生活が続いていたけれど、日中の暑いさなかに湯に浸かるのもいい。
車で新青梅街道からひばりが丘方面へ。ゆパウザひばりの駐車場は5台分だ。
夕方5時くらいだったけど空きが1台。


こちらの銭湯はマンション銭湯。銭湯のあるマンションに住むのは一つの憧れである。
左手にはコインランドリーもあり、駐輪場には自転車が20台以上。この全てのお客が湯に浸かっているのだろうか。それだけを見ても繁盛している事がわかる。

扉を一つ潜ると下足入れと傘立てがある。松竹錠の下足入れはその数、158。煩悩の数を遥かに超えている。158人の湯客がもし同時に浴室にいたらすごい事だろう。
以前F1観戦で訪れた鈴鹿のとある温泉に行った時をふと思い出す。浴室はカランの空き待ち、浴槽の空き待ちで所狭しと立ちっ放しの人、人、人。排水が間に合わず床に湯が数センチ、浴槽の湯は・・やめておこう。

二つ目の自動扉を潜ると目の前にフロント。椅子にはかわいらしい2歳半くらいのお子さんがお座りになられている。その側に若女将だろうか、フロント業務をこなしている。左手には券売機が2台。
ロビーにはテーブルと椅子が10組ほどあり、大型の液晶テレビも備え付けられている、

券売機が2台という事でもはやスーパー銭湯に片足を突っ込んでいる状態。
1枚購入してお子さんにお渡しするが、実際の業務はやられていないようなので受け取っては貰えない。

さて左側にある男湯の脱衣場へ。
中は天井低く、広さもさほどではないが清潔。エアコンに小型冷風機に扇風機もあり、快適な温度が保たれている。体重計はkubotaの腰までの高さのデジタル。あと大塚製薬の自販機。

69あるロッカーのうち一つを確保しパパッと服を脱ぐ。
水質検査の紙もある。平成13年に採水された地下水の検査結果。
さて浴室へ。

こちらは天井の高さが1.5階ほどあり開放的。天井に近い部分の窓から明かりも入り、奥の壁、ペンキ絵が飾られる部分は一面の窓。その窓から露天風呂が見える。
銭湯ありきで作られたマンションなのだなぁと感動。
天井は限りなくフラットに近いM字型をしている。
湯客は10人以上、出されたままの風呂椅子に桶もあるので、どこまで利用中なのか、そうでないかは一目ではよくわからない。

カランは外壁側から9ー7□7(ーは通路、□は島)。女湯境壁側に立ちシャワーブースが二つ。立ちシャワーは側壁についているので通路側にシャワーの水が飛んで歩いているお客さんに掛かってしまうリスクを回避できるよう考えられている。
さてカランを一つ確保して身体をしっかりと洗う。

浴槽を巡る事にする。
設備は豊富。L字型に広がる広大な一つの浴槽と奥の壁には薬湯槽。脱衣場側には水風呂、サウナ室もある。そして何といっても露天風呂。ご丁寧にも露天に出るには扉が2枚。冬であれば外の冷たい風が中に吹き込んでくるという状況でも安心だ。

まずは広大な浴槽から。

湯温はぬるめで41℃。
端から座風呂2基、リラックス風呂、電気風呂、ジェットの構成。
ちなみに浴室は1週間おきで入れ替えになるそうで、反対側には檜風呂があるようだ。
(ゆパウザひばりのHPはこちら>>>

電気風呂の効き目はなかなか。
座る時は電極部分がちょうど心臓部分になるので要注意。個人的には腰の高さにあると嬉しいが、人それぞれに電極板の高さを好きに変えられるようなシステムがあればいいなとふと思う。
電気風呂の場合は板に合わせる為に身体をもぞもぞ動かす、というのもまた一つの銭湯の光景であり面白いものである。

続いて薬湯を試す。
本日は甘草の湯となっている。日替わりで変わるようですぐ側に1ヶ月分のスケジュールが貼り出されている。
ロゼワインのような色をした湯は香りはさほど漂って来ないが、気持ちマイルドな肌触り。ぬるめで長く浸かる事ができる。

水風呂でクールダウンした後、露天へ。
岩風呂で5人はゆったり疲れるほどの大きさ。浅めの浴槽で2段式になっている部分と1段式の部分がある。2段式の1段目に腰掛けると半身浴を楽しめる。湯温は低く、本を読みながら長く浸かる方も何人か。しかし広いので混雑する事もない。
浴槽の側にはベンチもあり、外気に触れてまったりすることができる。
岩風呂は座り心地の良い岩を探すのも楽しい。常連となれば自然と座る位置も固定されてくるだろう。
目を閉じれば聴こえてくるセミの鳴き声、優しく風が吹き、湯の流れる音が耳をくすぐり心地よい。いつまでもいられそうだ。

さて湯から上がる。
ロビースペースでコーヒー牛乳を買い(120円)甲子園を見ながら一服。
喫煙しているお方もいらっしゃる。嫌煙家にとっては悲しいロビーだ。私は・・超が付くほどの嫌煙家。というわけでゆっくりすることなくコーヒー牛乳を一気飲みして退散する事にする。
牛乳の空き瓶は自販機下の引き出しの中へ。
フロントはいつの間にかかなりお若い女性にチェンジしている。無愛想ながらも美人。学生だろうか。銭湯に関わる女性は美人が多いと言うけど確かにそう思う。個人的には上野毛錦湯の女将さんが一番気に入っている(余談)。

さて表に出ると日が落ちてきたせいもあり、また温かい湯に浸かったせいもあり、涼しく感じる。
レトロの雰囲気はないけど活気があるいい銭湯。
次に訪れる時にはサウナを利用する事にしよう。


2011年8月1日月曜日

--.福岡県福岡市中央区今泉 本庄湯

福岡を訪れる機会があり、本庄湯に再度向かう事にした(以前の記事はこちら>>>)。

天神の賑やかな街並みから細い裏路地に入ると、住宅と飲食店が半々といった感じの通りに出る。飲食店もおしゃれな雰囲気の店が多い。そしてブティックホテル(いわゆるラブホ)もあるので、デートにはうってつけのエリアだ。



本庄湯に到着し、正面からその表向きを眺めるとこの街を訪れる若者たちとの差異を感じる。
勝手口の扉のようなステンレス製の扉を潜るとその先にはさらに異世界。もちろんこちらが時代の本流にあったものだが、いつのまにか街が追い越してしまった、という事である。

番台には女将さん。昨年訪れた時と同じように文庫本を片手に読書にふけっておられていた。そして前田美波里のようなショートヘアをしている。接客はというと控えめながらも私に気づくとすぐに本から目を外し、いらっしゃいませと丁寧にお声をかけて頂ける。そこでほっとする。
湯賃は440円。これは福岡県の銭湯料金である。

下足スペースは幅1.8m*奥行きは50cmほど。下駄箱もある。脱衣場にはマッサージチェア(15分100円)、3人が腰掛けられるほどのソファ、外壁側には木製ロッカー、そして輪投げがある。
マッサージチェアの値段設定にやや驚く。木製ロッカーは番号がそれぞれに振られているが鍵を付け替えて番号が変わったせいなのか、なぜか番号の並びがちぐはぐになっている。1~8くらいまでは常連用のロッカーというか蓋が外されて物置になっている。
番台の背中側の壁には神棚も飾られている。
全てのアイテムが長い歴史の中でいろいろなストーリーを生み出して来たのだろうと思うとこの空間にさらに深みが増す。

ロッカーの一つを確保し、パパッと服を脱ぐ。
さて浴室へ。
こちらの空間もまた昨年の時と変わらないが、2度訪れる事で懐かしさという新しい感覚を味わう事ができる。

カランは女湯境壁側が3(いずれもシャワー付き)、外壁側に5。それぞれのカラン前に小さめの鏡。床の排水溝は深さが5cmくらいあるので、まるでローマの古代風呂といった様相。カランも上から下に押すタイプではなく、手前から奥に向かって押すタイプのレバー式で強い力を必要とせず湯を出せるため、扱いやすい。シャワーのある場所を確保したが、3つ並ぶシャワーのうち、中央部分のシャワーはレバーを動かしても湯は出ない。

さてじっくりと身体を洗う。桶は無地でケロリンより底が浅めのもの。
さて浴槽を巡ろう。
こちらの銭湯には浴槽は二つ。中央部分に小判型の大型浴槽。そして外壁側奥に畳1枚分くらいの浴槽。
まずは小判型から。
湯温はぬるめで40度ほど。中心部分の底から唯一の水流が吹き出している。
背景を眺めつつ、まったりと湯を楽しむ。
男湯側の背景はチップタイル画で大きさは縦90cm*横1.5mといった所。エンゼルフィッシュが4尾。手前に赤、青。奥に黒めの2匹。いったい何を意味しているのだろうか。やや後ろの2匹は悪そうな雰囲気がある。

女湯側のチップタイルも男湯側から見る事ができて、そちらは丹頂鶴2羽。男湯側に比べると平和的に見て取れる。
なかなか身体が温まらないのでゆっくりとする。
さて続いて奥の浴槽へ。
こちらにはライオンの噴水口が取り付けられており、十分な湯量が放水され続けている。ブシャーというその音は浴室全体に響き渡り、空間を形成する一つの重要な環境音となっている。
湯温はやはりぬるめだが0.5度くらいは高めのような気もする。

湯客は私の他に一人。静かに湯を楽しんでおられる。20代のようだ。
さてしっかりと温まった所で湯から上がる。

再び訪れる銭湯、久々ではあるが以前と変わっていないという事を感じると嬉しいものである。
仕事では同じ事を繰り返しているとなかなか給料も上がらないものだが、銭湯においては改善すればいいというものではない。2度目にそう感じるという事はひょっとしたらこちらの銭湯は完成形に達しているのかもしれない。
もちろん100人湯に浸かれば100人の価値観があるわけなので、ここがゴールではない事は確かである。
少なくとも私はまた訪れた時も今日のように変わっていないでほしいと切に願う。