2008年12月11日木曜日

53.港区高輪 高輪浴場

仕事の帰り、クルマで高輪方面へ。

港区に仕事の用事があったため、高輪浴場へは4kmほどの距離。クルマを飛ばし、東京タワー付近を走り抜ける。

そういえば昔、泉岳寺の辺りで映像制作の仕事をしていたっけ。魚藍坂のピーコックやら高輪消防署やらを目の当たりにすると色々想い出が頭の中を駆け巡る。
魚藍坂上のピーコックの近くにあった、広場にベンチがあるだけという シンプルな公園が既になく、建物や駐車場に開発されてしまっているのをクルマの中から見て少しセンチメンタルになる。

高輪浴場は港区で最後の番台形式銭湯。これから新たに銭湯ができて、それが番台形式でない限り港区に番台銭湯はない。

大きなマンションがそびえ立ち、一階には「LINCOS(リンコス)」というスーパーマーケットが入っている。その目の前にコインパーキングがあるので駐車。そこから1分も歩くと高輪浴場だ。
高輪消防署は火の見やぐらにイルミネーションがついている。おしゃれな出で立ちである。高層マンションを見上げ、イルミネーションを見ながら高輪浴場のある路地へ入る。













そこには時が止まった空間が確かに存在した。

暖簾は出ていないが引っ掛ける場所もなく常に出ていないと思われる。

銭湯に暖簾がある必要がどこにあるのだ?
確かにそうかもしれない。

入口からして男湯と女湯は別れている。
けど傘入れの前は通り抜け可能だ。
イスもないので恋人同士で来た場合、神田川の歌詞のようになるだろう。

時間は22時くらい。
営業は22時30分までということでかなり終わりが早い。
右手が男湯。
中に入ると番台には小説を読みふける女将さん。
いらっしゃいの声もない。
湯賃(500円)を番台の木皿に入れる。
木皿は二つ並んでおり、私が硬貨を入れた木皿ではない方の木皿に50円硬貨が置かれた。

それからロッカーへ向かうところ声をかけられる。
「入浴セットはお持ちですか。ここは温泉じゃないんですよ」
どうやらスーツに手提げカバンというサラリーマンスタイルの当方が手ぶらで入浴に来たと勘違いされたようだ。

カバンを指差し持ってきているとお話し。
確かに客観的にみれば風呂に入りに来た格好には見えないかもしれない。無理もない。

脱衣場はコンパクトだが天井高く、格天井。木の色が良い。
アナログ体重計は亀井製作所と書かれたかなり重量感のあるクラシカルなもの。105kgが上限値。血圧計や身長計測器もある。

そこかしこに注意書きが貼られているのが気になる。
庭へのサッシに「あけるべからず」。その先に庭があるかどうか知る由もないが。
トイレの電気のスイッチの側に「トイレのスイッチは右の方を見よ」。番台へ問いかける前に注意書きを見よということか。
浴室側には「洗濯はしないように」
〜するなという内容のものがほとんどだ。

ロッカーの上には常連客のものとおぼしき入浴グッズがいくつか並んでいる。
ロッカーの上は埃が積もりがちなのだがここはきれいにしてある。常連を大切にしているスタンスが伝わってくる。そうなると私のような客は目障りに感じられるのかもしれない。

パパッと服を脱ぎ、浴室へ。
島カランが一つ。鏡もシャワーもない。
外壁側のカラン列にもシャワーなし。
女湯境側のみにある。
銭湯にシャワーが必ずしもすべてのカランに必要でしょうかと問いかけられているかのようだ。そう、確かにすべてのカランに必ずしもシャワーは必要ない。

6-5-5-5。6にシャワーが設置されている。シャワーの水量はちょろちょろで、結局は桶に湯を溜めてザバンとやるのが心地よい。
お客は一人いらっしゃったがすぐにお帰りになられた。
一人きりの湯である。

体を洗う。
鏡の下側には葬儀社の広告。
タイルに横向きの菱形模様が入り、とても味のある雰囲気だ。
体をしっかり洗い、浴槽へ。
深風呂、浅風呂が並んでいる。
浅い方へまず入る。湯温は43℃ほど。柔らかい湯の肌触り。
長寿泉とかすれた文字がかろうじて識別できるが、その文字の下に檻があり、例の如く湯が石に当たり、それが浴槽へ流れ込んでいる。

足を伸ばし、しばし心地よい湯に身を委ねる。
天井を見上げ、背景を・・・。
しかしここには残念ながら背景がない。
水色の壁は剥げ落ち、天井のペンキも剥げ落ち、まるで古代遺跡のように朽ちかけている。
かつてペンキ絵が塗られ、天井の艶やかな白い色を思い馳せる。お客が湯をかぶる音。桶が床を叩く音。湯を楽しむお客の話し声。どこからかそんな音が聞こえてくるかのようだ。
しかし今、この銭湯にはお客が一人もいない。

背景がなくとも、そこにペンキ絵は見えた。
なぜ描かなくなったかは分かりかねるものの、水色の壁にペンキ絵が銭湯に必ずしも必要ですかと問いかけられている気分だ。
そう、確かに必ずしも銭湯にペンキ絵は必要ない。そこに薪で沸かした心地の良い柔らかい湯があればそれで充分なのだ。

高輪浴場の注意書きは壁に直接マジックで書かれている。
かすれてよく読み取れないものの、水を埋めすぎるな、浴槽の湯を掛けるな、サウナではないので水ばかりかぶるな。といったやはり〜してくれるなという内容のものばかりだ。

お客が一人入ってくる。全身墨の入ったお方だ。

直接浴槽の湯をかぶり、浴槽のすぐ側で体を洗い始めた。注意書きはなんの効力もないようだ。

続いて深風呂へ。
湯温は浅風呂とつながっていることもあり、変わらず43℃ほど。

古代遺跡の湯を楽しんでいると、長寿泉の湯の流れが止まった。スイッチが切られたようだ。
時間はまだ22時30分前であるはずだが・・。少々気も焦ってしまう。

しんと静まり返った浴室に二人きり。

せっかくの湯なのでじっくり温まっていると、墨入りのお客は慌てて上がってしまった。
番台の女将さんと22時30分で終わりなのかと確認している。どうやら常連客ではないようだ。

また一人になりさらに古代遺跡の湯を楽しむ。

しかし、続いて脱衣場の電気が消されてしまった。
完全に追い出しに入っているようだ。

ここまでお客に気を使わない銭湯も珍しいだろう。
こちらの常識として「ゆっくり湯に浸かって行ってね」「終わりの時間が来ても入っていていいからね」「またいらっしゃいね」という反応を期待しているのだがそんなことは微塵もない。

そうだ、なぜそこまで銭湯側がお客に優しくある必要があるのか。
いや、全くそんな必要はないだろう。こちらの常識は勝手に作り上げてしまっている銭湯のイメージ。銭湯は長い歴史の中生き抜いて来た。そこまでしてお客に媚びる必要はないのだ。

さすがにこのままでは扉も閉められてしまいそうだ。
湯から上がり、水を何回かかぶるが注意書きが頭をよぎる。あまり水をかぶりすぎるのはよそうかと思う。

火照った体の温度は下がらず、脱衣場に行ってもなかなか汗が引かない。
急いで帰ろうとする気持ちとは裏腹にじわじわ汗が湧いて出てくる。

ふと番台を見ると誰もいない。
女将さんは閉店準備に行かれたのだろう。
しかし焦る必要もないのだろうが、何か落ち着かない。
最後にありがとうという声を待っている自分もいる。
しかし、お客に感謝の気持ちを伝える必要が本当にあるのだろうか。
女将さんはそんな必要はないと言っているのかもしれない。

ワイシャツに汗を滲ませながら、一人戸を開け路地へ出た。
もう一度全景を見ようと顔を上げると、煙突が窮屈そうにすぐ側のマンションより低い位置でやりづらそうに身をすぼめていた。

開発が進む中、この銭湯は〜するなと懸命に自己主張を続けている。
お客に媚びることなく自分をアピールし続けている。
近い将来、またこの自己主張の湯に浸かりに来たいと心に誓った。


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